苛立ち
昨日の夕飯は食べませんでした。
今日の起床後の体重70.9キロ
昨日は父の日に向けての仕込み量が増えた為、いつもより早く鰻屋へ出勤しました。
本来、ランチタイムまで勤務でしたが、次男の小児慢性特定疾病医療受給者証の手続きをしなければならずに、店長に事情を説明して早退させて貰いました。
その足で次男の通院している病院へ向かい、診断書を受け取り、すぐさま保健所へ手続きに行きました。
しかし、保健所と病院の手違いが重なり、今月の審査会には間に合わないとの事でした。
仕方なく、自宅に戻ってお昼を食べて少し休んでからダブルワークの仕事に向いました。
今日から新メニューが多数販売される為、勤務を終えた後に新メニューの資料に目を通しました。
種類も多く、作り方の手順も複雑で頭を抱えて、いつもより遅く帰宅しました。
帰宅するなり、今日、次男三男が奉仕作業で使う軍手と次男が家庭科で使う食材と布巾を買って来てほしいと頼まれました。
普段より長く働き、自宅から距離がある病院や保健所へまで足を運んだ上、今日までに覚えなきゃいけない新メニューがあった私には既に余力は残ってなくて、次男三男の買い物を旦那に委ねました。
それでも、旦那は私についてこいと言うので昨日の1日の行動を旦那に伝えてブチ切れました。
旦那は私の事を好き勝手やってて何もしないと評価しています。
それに対し、私はかなりの苛立ちを覚えてます。
確かに今は好き勝手やっているように思いますが、コロナで旦那の仕事が減り、私が鰻屋で働き始めた際は、それなりに努力やストレスなんかがありました。
更にダブルワークを始めた事で双方のお店にいかに迷惑をかけずにスケジュールを管理し、家の事や息子達の事で自分の時間も体力も限られてます。
1日の時間がもっと長ければや自分の身体がもう1つあったならとダブルワークをするようになってから、常々考えてますが、そんな私の気持ちも知らずに旦那は好き勝手やっているだけと思い込んでいるのが許せません。
ここまで苦労しながら歩んできた道程を全否定されてるようなものです。
もういっそ私が死んで、旦那が1人で全て背負ってみればいいんじゃないかとさえ思います。
私は生まれつき自分の生に執着はありません。
いつ死んでもいいように人と深く関わる事を避けて生きてきた節があります。
そんな私が旦那と結婚したのは、旦那の母親が余命宣告を受けて旦那に同情したと言うのが本音です。
旦那は幼い頃に兄を亡くしました。
家族との縁が希薄なんだと思いましたが、今は息子達もいるし旦那が孤独に怯える事はないと思います。
正直、旦那の家族を増やした事で私の役目はとっくに終わっていると思います。
それでも生きているのは旦那と息子達に苦労をさせたくないからです。
怒りに任せて、この記事を書いてますが、自分でも何を書いているのかよくわかりません。
こんな記事でも最後まで読んで下さった方ありがとうございます。
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